葛城二十八経塚の古道を巡る
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友ヶ島は大阪湾の南の狭い出入り口の紀淡海峡の 真ん中にあるノスタルジックでミステリアスな夢の楽園です。
古い昔に役ノ行者が開いた葛城二十八宿の序品窟からはじまる修験の霊場があります。
また、明治の中ごろから陸軍の要塞が造られ、今でも外洋にむかって六つの砲台の跡が残されています。
島の周りはどこでも磯釣が楽しめ、広いキャンプ場と島内余すところ無くはりめぐされたハイキング道を散策して、西端の友ヶ島灯台からの絶景を楽しみましょう。
友ヶ島汽船から桟橋におりたって、絶壁の上の遊歩道を東の端の虎島をめざして出発します。
朝の早い時間だったら、緑濃い照葉樹林には栗鼠が跳びまわっていますし、ひよっこり鹿の親子と出会うかもしれません。
絶壁の下の白い磯辺と真っ青なうちかえす波間をながめながら、ゆっくりと上下をくりかえして浜辺に降り立つとこの閼伽井があります。
・
ご覧のように今は干潮ですが、満ち潮になると虎島には渡れません。
干潮の時間を調べておきましょう。
大小の岩をつたって虎島の根元に着きます。
左へ崖を登れば島の頂上に達しますが、先に右へ磯伝いに序品窟にむかいます。
・
序品窟の入り口は体一つがやっと潜れます。
クラック状の巨岩の隙間に滑り込んで「妙法蓮華経序品第一」の石碑にお参りします。
奥の光は出口です。
右の写真は東側の出口です。

ここから、大きな一枚岩を斜め右に登って尾根に取り付けますが、最後の草着きが傾斜があって、もろい地質ですから、経験者のフォロウが必要でしょう。
上部の立ち木にロープを一本フィックスしてありますが、当てにはなりません。
尾根に着けば右よりの岩壁伝いに踏跡がありますが、最後は潅木をかきわけて観念壁の上部の砲台の空気坑の井戸が二つ並んでいるとこるに出ます。
右の写真は到着する少し前に見下ろした観念壁を横から見たものです。
普通は岩壁をつたって海岸線を進みますが、コノルートの経験者か、そこそこロッククライミングに達者な方のリードが必要です。
ルートファイデイングは、よく見ると岩肌が白くなったトレースらしいものを感じます。
大きな岩の間を飛んだり、海面の高さによって高巻きの必要があるかもしれません。
どうか無理はしないように・・・
それでは観念壁の説明をします。
この岩壁は和泉砂岩で非常にフリクション(摩擦)がありますから、岩登りに達者な方ならロープを使わずに登っています。
降りは絶対必要です。
左図のようにリングハーケンがありますが、立ち木を使ったフィックスも心がけましょう。
50㍍のシングルでやっと観念窟にとどきます。
壁の下から三分の一のあたりに、紀州の殿様が刻ませた「友嶋五所額」があります。
天井は低いですが、広さは2,3畳あるでしょうか、横から入った左奥に「観念窟」と刻まれた石碑があります。
向こうの窓の下は垂直の絶壁で、下は紺碧の渦が巻いています。
上り下りは腕力にたよらず、特に降りは肩がらみ懸垂か8環を使うなど岩登りの技術を使ってください。
登りきった草付きで滑らないように・・・
左図 帰りの汽船からの撮影ですが、右側の○の中が観念窟です。
拡大してご覧ください。
上に戻って二つ井戸から北に50㍍ほど降ると行者像があります 。
潮の時間を考えて戻りましょう。
余裕があれば途中で深蛇池や第4砲台に寄ってみては・・・
剣池は沖合いの神島にあるので行けません。
全島を巡る時間はありませんから、民宿に泊まるなり、テント持参で南垂水海岸のテント場は快適ですよ。
井戸がありますから、
煮沸するなり飲料水だけ持参すれば・・・
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南垂水キャンプ場から島の頂上を目指せば、一番立派な第三砲台から展望台を巡って池尻浜から友ヶ島灯台にでます。
第二砲台も面白うでしょう。
対岸の淡路島を眺めて晴れ晴れした気分になれます。
海岸道路を通って桟橋に着いて全島一周はおわります。
友ヶ島汽船は'07年 3月から加太漁協(ダイヤ・運賃)が運営します。
潮位表で干潮の時間帯をお調べください。
<最寄交通機関>
南海電車・加太線加太下車・加太港まで徒歩15分
(続きを読む)へ
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先に訪れた金輪寺から南海本線を隔てた向かいの山の中腹に高仙寺が見えます。 踏み切りをわたってから、左にとって山道にはいり長い石段を登ります。
左に葛城修験道大先達の碑があります。 ここを出発点とした和泉山系だけの修験の山岳苦行の場があったようです。 これから高野山、飯盛山、札立山、大福山、籤法ヶ岳から雲山峰を巡ったようです。
山門をくぐって、さらに石段を登って本堂に着きます。 小さな鐘楼に行者堂,庚申堂、地蔵堂がならんだ奥に役ノ行者のお母さんのお墓があります。
本堂の裏の小祠の横から高野山への急坂を登ります。 ジクザクをきってなだらかな頂上尾根に出て三つ目のピークが頂上でしょう。 尾根道を進んですぐに電波反射板と関電鉄塔に迎えられると広い林道にでます。 (’08 12月現在、反射板は建て替え工事中です)
この林道は十年ほど前に造られたものですが、200㍍ほど降って左に急カーブを切っているのを直進すると林道が途絶えて右に山道があります。
飯盛山まで関電鉄塔はありませんから、途中に3ヶ所ほど関電標識のある分岐がありますから鉄塔に出れば、すぐに引き返しましょう。 しばらく鬱蒼とした樹林のよく踏まれた道を進むと、孝子から谷間を登ってくる道を迎えてしばらくで杖立山と飯盛山との分岐にでます。 たいして時間はとりませんから、ぜひ往復しましょう。
左に千間時跡を見て、すぐに飯盛山頂上です。 手前に関西国際空港が横たわり右向こうは六甲の山並みから左に明石大橋に淡路島に囲まれた大阪湾の展望を満喫してください。 さあ、元にもどります。
また植林帯になったりブッシュに出たり変化のある尾根をつたって、目の前が明るくなれば、札立山の三叉路ですが、頂上の感じはありません。 右へまっすぐは平井峠です。
左に曲がって明るい尾根筋を進みます。 途中に紀ノ川を一望する良い休憩場所があります。 降りになると直川からの道をあわせて広くなり、もうひと頑張りで大福山です。
昔は展望のない頂上でしたが、新しい弁天社も祀られて、すっかり整備されました。 真ん中の「大福山」と刻まれた石碑は東の斜面に捨てられていたのが引き上げられました。 第三番経塚と言われています。 第三番は雲山峰とも麓の行者堂とも異説があります。 この山の北にある俎石山は一等三角点があるので、登山家には有名です。
大福山から俎石山にほんの少し下った所に下図の”第三経塚跡”がありますが、どのような事実があるのか知りません。
大福山から東に向かって,童子の苦行を詠った謡曲「谷行」で有名な懴法ヶ岳(籤法ヶ嶽から訂正)を過ぎて明るい井関峠にでます。 ここは鳥取池と直川からの道の十字路になります。 明るい尾根筋を進んで山腹道のトラバースが終わると広く開けた地蔵山の展望台にでます。
(懴法ヶ嶽には東峰と西峰がありますが、陸測図にある391㍍峰は西峰です)
ここを北に向かうと雲山峰から山中渓駅に通じる一 番登山者の多いコースです。
さて、これまでは上図の緑線の山岳修験のコースですが、現在のように山道が整備されておらぬ昔は苦行の連続だったでしょう。 一般の行者さんはもっと楽なコースを辿ったと思います。
孝子から平井峠を越えた山麓道が考えられますが、今はすごい車の通行でとても歩けませんから、赤色のコースをご紹介します。
孝子から和歌山に越える孝子峠は南海電鉄が孝子トンネルを掘るまでは無くて、大阪方面からは、この平井峠を越えました。 登り口に古い石の道標があって、簡単に峠に着けます。 戻り気味に尾根を辿って東峠から広い林道に出てからは、和歌山側に降りぬよう気をつけて広い林道を紀ノ川を右に見ながら進みます。 防火槽を三つ目で左へ山道に入ります。 砕石場の道標から急坂を降って採石場跡の広場に出ます。 中央あたりから舗装路があって、渓川が出てくると鳴滝不動があります。
不動の滝の淵にかかる橋をわたった右手に役の行者像やいろんな尊像の並ぶ奥の崖に不動堂が建っております。 川に沿って巨岩や石祠のならぶ修験の寺です。
不動さんの前を左にとってしばらく行くと左に池がありますから、南側の小道を進んで村にはいって、有功中学へ行く広い道を聞いてください。 大きな団地です。 学校の前を過ぎて突き当たりを右に、また突き当たると左に立派な階段があります。 降って川べりに出て小道を左に進むと直川観音の階段が見えます。 大福山の本院になる本恵寺です。 立派な朱塗りの仁王門の奥に開山堂、経堂、薬師堂等が並んだ広い境内です。
橋をわたって川岸の道をゆっくりつま先のぼりで歩きましょう。 大福山と井関峠と二つの分岐をあとに墓の谷の峡谷ななるともうひと頑張りで行者堂です。 先年、焼失して新しいお堂になりました。 ここから、いよいよ山道です。 一度ジグザグをきると、地蔵山からの道に出ますから、そのまま上に上って三叉路に出ます。 このまま進むと紀伊駅に降りますから、50㍍ほどで左の林道にはいります。 しばらくで前述した青年の森からの道に出て、落合から滝畑へと頑張ります。 どちらのコースをとっても、健脚と自他共に許せる道のりです。 ご苦労様!
滝畑で昔の熊野街道に出ます。 JRの踏み切りを越えて今の街道にでると、第四番経塚も近いです。
一般の方は大福山から北に俎石山を経てみさき公園に、又は南へ六十谷に降ることも考えましょう。
「最寄交通機関」
南海本線孝子駅より高貴寺まで20分
阪和線山中渓駅より雲山峰へ
下山は紀伊駅、六十谷駅
大福山は南海本線箱作又は六十谷(周辺案内)
飯盛山はみさき公園へ出ます
孝子峠から国境尾根伝いの散策ルートを(続き)に掲載
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前回で長い道のりを落合にくだって滝畑まで出ましたが、今回はあらためてJR山中渓駅からご案内します。 駅前から南に左側の交番をすぎて家並みが無くなると、山中渓関所跡の表示板と自然石があって、その右上に供養石があります。 これを経塚という方もあります。 右の写真では見にくいですから、クリックしてポップアップしてください。 そのまま1キロばかりで高速道路の下を左に曲がりますと、すぐに桜地蔵のちいさな標識が目につくでしょう。
この上に第四経塚があります。 昔はもう少し西に桜地蔵と一緒にありましたが、高架橋の工事で現在地に移されたようです。
ここから谷沿いに進みますと境谷の村落に出ます。 ここは江戸時代には温泉宿があったそうです。
橋を渡ってすぐ左に家に沿って回ると槌の子峠にむかう山道になります。 峠にでると北に四石山へのハイキングコースがあります。 南には楠峠への標識がありますが、難コースですから安易に入らないように・・・・
峠を越えて雑木林から畑が出てくると信達楠畑の部落にはいり橋を渡って車道を少し進むと右側の作業小屋の横の山道にはいります。 静かに登って林にはいり少しジグザグすると峠に出ます。 さきほどの槌の子峠からの尾根道は楠峠でおおきくUターンしてここまできてます。 峠からまっすぐ降って踏跡が怪しくなれば小さな流れを渡ってまた踏跡をたどれば、根来街道に出て押川を経由して第五経塚に向かいます。
橋を渡って今度は右にまがって村を抜けると田んぼ、畑と雑木林の点在する明るい道を進みます。 Y字路は左です。 畑もなくなって右の池を過ぎると右にまがって降りになります。 郷の峠からの道に出合ってしばらくして村落に入り小さなお堂の角を左のまがって池のはたの小道をたどるのが根来寺への近道です。
根来寺から第五経塚には西に進んで菩提峠から左の林道に入りますが、土仏峠まで約5キロの自動車道の登りは相当覚悟がいるでしょう。
一般の方は槌ノ子峠から四石山から山中渓のこどもの国に出る、ハイキングコースをお奨めします。
「最寄交通機関」
JR阪和線山中渓駅下車
根来寺からはJR紀伊、岩出ゆき(バス停まで15分)
及び南海本線樽井行きの特急バス(回数少)
続きで、槌ノ子峠から楠峠のコースを紹介します。
こちらは、熟練者向きです。
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前章でお話した第四経塚から槌ノ子峠を越え押川(おしこ)から入るコースは現在はまったく使われていません。 しかし、根来寺が百ヶほどの子院・末寺を擁していたこの界隈と二十八経塚中で最悪のこのコースを敢えて紹介します。 挑戦してください。
つづら畑・根来さくらの里~押川(おしこ)~土仏峠~第五経塚~倉谷山~今畑~中畑~神通温泉(約8時間強)
バスを下りてしばらく南に進んでから旧道に入り閉鎖された旧風吹トンネルの前を左折して押川部落に入ります。
昔、「押川(おしこ)十八ヶ秘所」と呼ばれた行所をかかえた押川の里の面影はなくなりました。
新しい農道が出来ましたが、橋を渡って部落に入り右へ抜けると昔ながらの行者道がはじまります。
畑も殆んど無いのになぜこのような農道を造ったのでしょうか・・・ 行政の不思議です。
気持ちの良い行者道の登りは農道に出て終わりますが、この農道もすぐに終わります。 左に踏跡があります。 深い木立をぬけ5㍍ほど駆け上がって林道に出ます。 堰堤工事のため造られた開け放された道です。 最後にジグザグをきって根来からの広い林道に出ます。 ボンデン山に航空無線中継塔をつくるために自衛隊が造った道です。
しばらく登ると右側が尾根になって、ここに行者道があったのですがブッシュに塞がれてしまいました。 そのまま林道を約400㍍ほど進んでカーブが左に向くあたりに古い木の階段があるのですが、崩れてしまったからマークを探しましょう。(この林道は新土仏峠を越えます。) 30㍍ほど登って山田越えになります。 右から行者道が上がってきています。 左に急坂をのぼります。
ブッシュが邪魔しますが、よく踏まれた道です。
登りきった所が土仏峠で右の標識があります。
ここから降りになりますが、あとはマークだけが頼りです。 マークは30㍍ほどでありますが、あまり間が開くと注意しましょう。
下り終わって右折です。(注意) ここから山腹を辿りますが、一度左に少し登って二度目に登ると尾根の真ん中から左に寄ります。 ピークを越して尾根の中心を歩いて降ると薄暗いコルです。 ここを左に滝の谷を下ると今畑手前の林道に出ます。
木立の間を上りましょう。 前が開けると第五経塚です。
根来寺からここに移されたそうですが、山深い所です。 大体ここで昼食です。
そのまま進んでやや左手に登って尾根に出ます。 ここにはマークがたくさんあります。 右に降ると立派な林道に出て中畑峠から神通に通じる一般の方の参詣道です。
左に登って倉谷山を越します。 少し降って道は右に曲がって尾根の上を辿ります。
頭の赤い境界柱が次々とありますから、それが頼りです。 低い潅木の明るいおねです。 倒木やブッシュで踏跡が薄くなれば尾根の中央を歩きましょう。
尾根が切れる感じになれば左に境界柱を探して斜面をドンドン降ると森林帯に入って踏跡は山腹を辿ります。 最後は二瀬川沿いの林道の橋の袂に降り立ちます。
この林道は新土仏峠からボンデン山への道が馬ワカレで分岐して神通温泉にいたる林道です。 このまま進むと途中で今畑への道がキックしてそのすぐ先に前述した第五経塚から降ったコルからのコースに取り付くロープが崖にぶら下がっています。
ここまで来たのですから今畑に行ってみましょう。 橋から50㍍ほどで2㍍位上に廃道になっている道があります。 少し近回りです。 新道と一緒になってしばらく登ると森林地帯を抜けて開けます。 今畑は戦国時代に土地の侍によって興され、近江の白髪明神を勧請し、多聞寺も根来寺の末寺でしたから岩出方面の方の信仰が厚く、行所でもありました。 昔は二十数軒あった部落も2003年最後の四軒も退散しました。
床下から竹が突き上げてアット言う間にブッシュに埋もれました。 廃村今畑の面影は部落の入り口の石垣を右に曲がりすぐ右折すると竹やぶを背に白髪明神の小詞が立ち、その横に最近に離村された方が復活された多聞寺の祠と石仏の群れが並んでいます。 祠の中には朽ちた毘沙門天が祀られています。
右側の灯篭には文化元年(1804)岩出十四ヶ村寄進と刻まれています。
さあ、引き返して神通温泉に向かいます。
二瀬川にそってドンドン歩くと中畑部落の最初の家に入る道をさらに左に曲がると山腹にしがみつくように鳥居と社があります。
真ん中が九頭竜明神で左が八王子社です。 1700年代の行所です。 中畑部落の真ん中の橋を右に行くとやはり行場の来迎寺がありますが、今は村の集会所になっています。
さらに降って神通に着く手前の橋を右に進むとやはり行所の浦上明神があります。
今畑から1時間です。
高速バスは1時間に一本ですから、時間を計って温泉につかり湯上りのビールはたまりません。
一般のコースは神通温泉でバスを下りて、バス道を南に登り、第六経塚の志野峠への分岐を過ぎると池田トンネルです。 右折して採石場・焼却場の前を通り中畑峠から紀ノ川を見下ろす快適な尾根歩きを小1時間で林道が尽きる手前の小尾根を登ると四等三角点を過ぎて倉谷山の前述の分岐です。 この場合はコルに降って今畑周りのコースが多いようです。
南海本線樽井駅から南海特急バスで根来さくらの里下車
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神通を出発して、第六経塚~第七経塚~中津川行者堂を経て粉河寺に降ります。
昔は粉河寺から犬鳴山に向かう重要な街道でしたが、自動車の発達した今は、経塚巡回の方々がわずかに利用するだけで、特に行者堂から第七経塚の行者道は修験者も通らなくなって、一部はほとんど廃道になっています。
ブッシュ漕ぎの覚悟が必要ですから、経験者を必要とします。
神通からバス道をゆっくり登って、池田トンネルの手前で橋を渡って志野林道に入ります。
軽い登りの静かな林道です。
20分ほどで三叉路になります。
右にまっすぐ降り道を300㍍ほどで左の山腹に松峠第六経塚があります。
この経塚石の裏面に昭和三十六年建之と刻まれていますから、比較的新しいものですが、松峠の経塚とどちらが正しいのかの議論は別にして、志野峠の方は見つけにくいので、こちらにお参りする方が多いようです。
もとに引き返しましょう。
略図を見てください。
三叉路から松峠は300㍍たらず。 志野峠経塚は左右どちらに行っても、50㍍ほど進んだ、その真ん中にあります。
マークがあるはずですが、なぜか剥ぎ取られていることが多いので注意しましょう。
石には経塚と大き刻まれているだけですが、古文書にも記載され
志野すすき 志野の茂りの夜あらしも
経読く声と 身にぞしみける
と智航上人がお詠みですから、古いものなんでしょう。
林道に戻って北に進みます。
この林道を小1時間ゆっくり登ると、突き当たります。
30㍍ほど右手前をさがすと山道が隠されています。 陽があたるので、どうしても雑草が茂ります。 樹林に入りますから、すぐ踏跡ははっきりしてきます。
しばらくすると、左の山は松茸山ですから、道もはっきりして焼却場の前の舗装路に飛び出します。
ここから立派な自動車道を降って行くとT字路になって小さな公園のような三角帯に第七番経塚(アラレの宿跡)があります。
正面に「中津川経塚」の解説の看板が設けられています。
東に向かうと30分ほどで金剛童子の石祠のある秤木ノ宿から北に登って、第九番を目指すコースになります。
南に降りましょう。
すぐに左の植林が無くなって、柿畑になります。
左に舗装された小道を曲がります。 左の写真です。
柿と蜜柑畑の向こうは紀ノ川の桃源郷です。
すばらしい眺めを満喫しましょう。
さて、これから難所にかかりますが、少しクドクなりますが、我慢してください。
略図を付けますから、クリックして拡大してください。
200㍍ほど降ります。 潅木帯に入ると、まもなく右に竹林があります。 その中ほどに小さな空き地に入ります。
ここが入り口です。
時期によってブッシュで困る時もありますが、今は(’08・4月)刈り込まれて一間幅の行者道が確保されていますが、あまり歩く人が少ないのか倒木が増えて、1度手入れをしないと通行不能になります。
200㍍たらずで突き当たって、左に直角に曲がります。
すぐに左に小池があります。
小魚が泳ぐ古い池です。
ほんの暫らくで、足元が悪くなると突き当たりになります。
前鬼谷の源流で、覗きこむと小さな苔むした堰堤が見えます。
この曲がり角もブッシュが茂りはじめましたが、なんとかブッシュをさけて踏跡ができました。('09春)
右折です。 渓に沿ったはっきりした道になります。
すぐに右側の山腹に石垣が見られますから、古くからの行者道だったのでしょう。
古い小屋と蜜柑運搬のモノレールがあります。 右手の山は蜜柑山です。
すぐに逆Y字路に出ますからキックターンします。
少し降ると熊野神社です。
ご覧のように、極彩色の春日造りで、社殿の前の石灯篭は正平二十四年(1369)と南北朝時代のものです。
「葛城の五鬼」(中津川の敬虔な5軒の信者の方、神仏混淆ですから、神社と行者堂もお守りします)と呼ばれる修験者の行所です。
もとに戻りましょう。
しばらくして、右側に手すりの付いた急な石段があります。
この上が中津川の行者堂です。
葛城修験道場として信仰の中心になっています。
左手の極楽寺は宿坊として、使われています。
常夜灯には「是より犬鳴道」と刻まれているのは、ここから第七番から第八番と今日、我々の通ったコースを行くわけですが、残念ながらもう、ここを通る行者さんは無いようです。
途中、道の傍らに十二町から七丁、四町、二丁と水の流れる静寂な杉木立の山腹に石仏とともに道標が並んでいます。
中津川部落を越して、初めての信号の所に檜木宿跡があります。
左の説明の石碑に役の行者の腰掛け石の跡とかいてあります。
ここからは、道の両側は果樹園の連続です。
柿、みかん、梨、桃それに無花果もありました。
山の上から見た桃源郷は現実のものでした。
竹やぶの坂道を下ると西国第三番札所の粉河寺の甍の数々が見えてきます。
紀州三大祭の一つの粉河祭には、先に述べた葛城五鬼の修験者の方が,本殿の鍵をあけ、本堂の前で護摩供養を行います。
このコースはJR熊取から粉河駅前をむすぶ南海の特急バスが便利です。
途中に犬鳴山、神通に停車します。
次回は犬鳴山の第八番に参ります。
なお、第七番から行者堂への途中のヤブ漕ぎは一般の方は無理かもしれませんから、
次回の犬鳴山を参考にしていただいて、自動車道に出てから、突き当りの丁字路を南下して秤木の宿から第七番、第六番 と逆コースを神通に帰ることもお考えください。
「最寄交通機関」
JR阪和線熊取駅下車・粉河行き特急バスで神通下車(時刻表)
粉河からは上記のバス(時刻表)又はJR和歌山線粉河駅
秤木ノ宿の写真(続きを読む)
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修験道の本来のコースは、粉河寺から志野峠の第六番をへて犬鳴山を往復したようですが、今回は山越えで和泉葛城山にむかいます。
敬虔な雰囲気の漂う参道の入り口に「葛城二十八宿修験根本道場元山上犬鳴山大本山七宝滝寺」の石碑があります。
詳しくはリンクしてHPをご覧ください。(左サイトの目次をクリック)
犬鳴山の渓谷にそって、名づけられた滝や巨石をめぐり、赤い山門から山名になった義犬の墓から次々と仏様に見守られながら奥の院に着きます。
お堂の手前の広場の奥の立派な不動明王像の右脇からつづらおりの急坂に
とりつきます。
この道には可愛い金剛童子が次々と迎えてくれます。
蛇腹から裏行場の入り口と権現山の護摩場を経て雑木林にかこまれた受記品第八経塚が立っております。
1459年の古いもので、二十八箇所の経塚の内一番荘厳な趣がします。
これから大天井ヶ岳を越して和泉葛城山に向かいますが、そのまえにチョット寄り道してこの天狗さまにお目にかかっておきましょう。
芸術品ですよ・・・
<CAUTION>('08/4月現在)
このルートの標識・道標は全部撤去されています。
第八経塚までは、ハッキリしてますが、その先をご案内します。
経塚をすぎて降りになるとスグ丁字路です。
右が天狗で左が大天井です。
上り下りを繰り返しますが、落ち葉の踏跡でハッキリしない所もありますからルートファンデイングの腕のみせどころです。
少し長い登りをコナシて大天上ヶ岳(612m)です。
昔は道標と標識がたくさんありましたが、今は無いものと思ってください。
左にハッキリした踏跡がありますが、裏行場(山伏さんの修行場)に向かいます。
降りはトテモ危険ですから絶対入り込まないでください。 もし入った場合は少し行けば小さな不動明王像がありますからそこから引き返しましょう。
コンパスで方向を確認して、 南に向かって右折です。
少し降るとピークに突き当りますから左へ巻き道のトラバースです。
前が明るくなると自動車道に出ます。 大タワです。
尾根を降ってからは自動車道路をひたすら歩きます。
途中の五本松に展望台やレストランがありますが、このスカイライン全線で紀ノ川 一体のすばらしい展望にめぐまれています。
この尾根道に車道は無くて小笹の中のハイキングコースだったのは50年前のことです。
やっと着きました。
売店の前の石段を登ると八大竜王社があります。
これが第九経塚とされていますが、もう一段上にある石の宝殿との間にあった小
さな金剛童子の石祠が経塚だと古文書に記載されています。
略図の鳥居は竜王社で寺のマークが石の宝殿です。
そこの階段を降った所から、天然記念物のブナ林の遊歩道を通って牛滝にくだれます。
また、略図のように和泉葛城山の一等三角点は東の峰です。
さらに車道を降ります。
地蔵さん道の標識から左に山道になります。
次々と二十一の地蔵さんが迎えてくれます。
階段道が終わって車道とい っしょになってから、右の滝道を降れば牛滝山の渓谷美が堪能できます。
牛滝山大威徳寺に着きました。
法師品第十経塚は山門からすぐの苔むした大きな自然石です。
境内を散策してください。
HPにあるように、秋はすばらしい紅葉の名所です。
ここはバスが少ないので、この逆コースも考えられますし、前述の石の宝殿から蕎原に降る一般向きのコースもあります。
「最寄交通機関」
JR阪和線熊取よりの粉河行き特急バスが便利
牛滝山は南海本線岸和田駅から南海バス
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蔵王峠まで来て、はたと困りました。
第十四経塚が光滝寺の中と南葛城山の一本杉と二つあることです。
蔵王峠のすぐ東の大畑の部落には蔵王権現と勝楽寺があって、修験の里とされていますが、古文書にここから東北に登って南葛城山に到った記録は残されていません。
一本杉には一応白いポールも立っていますが、どちらの説が正しいかは別として、本来のルートを外れて紀見峠方面から南葛城山からノゾキ平を経て、光滝寺への山歩きをしましょう。
紀見峠の方からダイヤモンドトレール(通称ダイトレ)の尾根にのって、根古峰の手前の急坂を登り切ると、林道が広くなります。 岩湧山とは分かれて、千石谷をへだてた和泉山脈の尾根を伝います。
森ノ谷の手前から尾根の上の山道に入れますが、もう少し林道を使って右からガリー状の山道に入ります。
静かな植林の中のしっかりした踏跡を一度林道に出て、はいり直して二度、三度上下すると一本杉の小屋にでます。
小屋の中は「不動明王」と「善女竜王」の二つの石碑は麓の高野口町の住民が建立したもので、雨乞の季節には僧侶を先頭に善男善女がお参りになります。
経塚は以前は小屋の左の空き地にポツンと立っていたのですが、今は小屋の裏側の隅に置かれています。
石碑に刻まれている「一本杉」は小屋の裏側に大戦後までそびえていた巨木ですが、今は熊笹の中で朽ち果てました。
西へ少し登ると南葛城山の頂上で、切り開かれて公園のようになっています。
小屋の裏の熊笹の原っぱを山腹にそって下ります。
森林帯をぬけて、明るい岩場の多いトレースになりますが、樹林帯にはいって緩やかになるとノゾキ平に着きます。
少し広くなって、なんだかホットくつろげます。
正面の雄大な岩湧山の間の千石谷に関電道が急降下
しています。
これからは林間の歩き易い道が 関電鉄塔№71に突き当たります。
すばらしい展望台です。
ここで直角に左に曲がって、次は関電道が左りに登って行く所で右折です。
広い尾根になりますが、降りきった所で注意しましょう。
尾根から左に外れます。
山腹にそってドンドン降れば、石川にかかる中の茶屋橋に出ます。
蔵王峠から降ってきた自動車道ですが、車はめったに来ません。
左に御光瀧道を見送って、右の河原にキャンプ場が現れると、キックターンして坂を登ると福王山光瀧寺の山門をくぐります。
このお寺は槇尾山施福寺の奥の院とも言われていますが、あたりの賑あう夏のキャンプシーズンも秋の紅葉のころでも、ひっそりと静まりかえっています。
古文書の中に経塚は本堂前の法華塔と書かれていますが、この石碑でないかも?
滝畑ダムに出ますと、河内長野行きの南海バスがあります。
(最寄交通機関)
南海高野線紀見峠駅下車
南海高野線河内長野より滝畑ダムへ南海バス
(続き)で南葛城山からそのまま稜線をゆきます
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ちょっと、寄ってみませんか!
ここは西国三十三所の難所として名高い、第四番札所の槇尾山施福寺です。
西国巡礼では、前述した七越峠から、尾根通しにお参りしますが、修験回峰では光滝寺から滝畑ダム湖に出て、ダイトレ道をボテ峠・番屋峠を越えて往復しております。
二十八経塚の最後に埋経されたので、「巻尾山」の山号がついたとの伝承がありますから、番外の経塚のある所と考えましょうか・・・
光滝寺から渓谷美をめでながら滝畑ダムに出てきました。
槇尾山には橋をわたりますが、そのまま立派なトイレや売店、釣魚場の前をキャンプ場の広い河原を見おろしてすすみます。うと
バス停の広場をすぎると夕月橋です。
ここを右折して山にかかります。 岩湧山の北側を回ることになります。
舗装路ですが、緑につつまれた明るいプロムナードです。
トンネルをぬけて下ると左から横谷からの道をむかえます。
また、ゆっくりとした登りになりますが、編笠山が大きくなって、前方に山鼻を回る道が見えてきますが、案外あっさりと上に着きます。
下ると左から編笠山の整備された階段道がおりてきます。
50㍍ほど先のコーナーの左手に第十五番経塚の簡単な道標があるでしょう。
ガード・レールの間に踏跡があります。
静かな松林の子尾根を50㍍ばかり登ると五輪塔が立っています。
小さなピークですが、右に10㍍ほど降ります。 この尾根を降る人があるのか、左に行過ぎぬように・・・
もとに戻って、ほんの少しで湧出山岩湧寺になります。
境内は狭いですが、急に霧が出てきて荘厳な感じ・・・
お寺の裏側の滝道をくだりました。
滝や森の山の神々がお祀りしてあります。
ここから下って流谷に向かいますが、そのまま神納に出てバスか、岩湧山を越して紀見峠へも出られます。
また、第十五経塚だけなら、河内長野方面から、南花台または中日野から一徳坊山と編笠山を越える面白いコースが推薦できます。
今回は陸測図はありません。 次回のを参考してください。
(最寄交通機関)
●滝畑ダムへは南海高野線河内長野より南海バス
●槇尾山は南海・泉大津または和泉中央からの南海バスと途中で和泉市のコミュニテイバス(オレンジバス)との連絡あり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続きで一徳坊のコースを紹介します。
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前回は地図を載せなかったので、これを参考にしてください。
クリックしてください。 全図が出ます。
今回は峠越へですから、一般向きです。
岩湧寺を出て行司河原でキックターンします。
この道は30年前に竣工した滝畑ダムより古くからありました。
登りつめるとトンネルがくるりとループになって回っています。
昔は画期的だったでしょう。
車はめったに来ませんから、気持ちよく歩けます。
降りきって、ひらけた流谷の家々があらわれると、まもなく電話ボックス(電話機なし)が立ってます。 静かな山里には場違いです。 その陰に「流谷金剛童子」の古い道標があります。
ここから小道を下りますが、この経塚は見つけにくいので少し詳しく説明します。
渓をわたり、写真の左手前の納屋を左にまがって
裏側にでます。
<特報>右の写真は’08年1月現在です。
冬場はこのように入り口がわかりますが、春夏はブッシュで塞がります。
民家の屋根が下に見えて
猪よけの垣根のところに出てきます。
垣をまたぐ踏み台があります。
崖の階段が崩れてロープが下がっていますから、すがって登れば左へ20㍍です。
第十六経塚は竹やぶの裏の陰鬱な急斜面にあって、正面から撮影するのが困るほど狭い場所です。
もとの街道に戻りましょう。
すぐ右が井関谷で、10分ばかりでアシ谷です。
これは岩湧山の手前の根古峰に登ります。
推薦できる好いコースです。
すぐ砥石谷です。
真上に高圧線が走っていますから、見上げて確認しましょう。
砥石谷にそった林道をつめます。
途中に水源地のある昔から使われている重要な道です。
30分ばかりで最後は急になって高圧鉄塔の右を通ってダイトレ道にでます。
右に行けば岩湧山です。
すぐ前を降って作業小屋の前をすぎると天見不動の第十七経塚があります。
整然とした広い植林の中にある気持ちの落ち着くところです。
ダイトレを進みます。
砥石谷の源流になって橋をわたり、子尾根を越えるとボ谷の池があります。
写真の左手が、もうほとんど水が少なくなった池です。
また一つ越えて作業小屋ができて立派になった棒谷林道を左におくって、上り下りをくり返して紀見峠にでます。
車道ですが、まあ車は来ないでしょう。
左に200㍍ほど降れば金剛山につづくダイトレの林道で、右を少し登れば紀見峠の宿場跡になります。
写真の左の上に行くと部落になります。
右は柱本につらなるバス道で、本来の行者道はこれですが、今は次の第十八経塚は天見の旗尾岳の東にありますので、次回はそちらに参ります。
南海紀見峠駅には宿場跡を越えて右に山道を降ります。
今回のコースは日帰りでの場合は時間が余りますから、流谷の南を並んで走っている素敵な里山の散歩を続きで紹介します。
「最寄交通機関」
滝畑ダムは河内長野より南海バス
帰りは南海高野線の紀見峠駅又は天見駅
流谷の北側の里山の散歩です。(続きを読む)
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紀見峠に着きました。
昔はここから高野街道を降った柱本に第十八経塚があったようですが、今は南に降った天見の旗尾嶽の裏にあります。
分かりにくい所ですから高野線千早口駅からグリーンロードを東へ、途中から山際の道を塞神をへて才ノ神林道に入ります。
小一時間で突き当たりで広くなります。
小さな道標が右にありますが、右の茂みの中の細い踏跡に入ります。
百㍍ばかりで右にトタン屋根が見えるところで右に曲がります。
広い植林帯ですが、すぐに小尾根に上ってまた右折です。
木の根をつかむ急登で小さな独立峰の上に経塚があります。
「第十八岩橋山経塚」と刻まれた石碑の裏に昭和三十六年、もう一つの「葛城峰中亡霊回向塔」も同年です。 回向塔の回峰行者への回向は分かりますが、江戸末期に柱本から此処に移されたようですが、いきさつはわかりません。
ここに立ち寄った古い記録はありません。
尾根に出るのは、略図を参考にしてください。 真っ直ぐ子尾根を直登出来ます。
また、この経塚から尾根を反対側に降ることができます。
左図を参考に関電鉄塔から才の神林道の橋の百㍍手前に出ますが、踏跡はありませんから藪漕ぎのお好きな方はドウゾ・・・
あらためて旗尾嶽(天見富士)からのコースを紹介します。
千早口駅と天見駅をむすぶ遊歩道の中ほどの関電道は自動車道路のトンネル工事で閉鎖されましたから、もう少し北の谷筋から入るとトンネルの入り口を過ぎて第四鉄塔の上の尾根筋に出ます。 旗尾嶽東尾根です。
これからも工事のため、どのようになるか分かりませんが、今は天見駅裏からの山腹道のほうが無難でしょう。天見からは駅裏の林道を上がって橋を渡れば一本道です。
最後は少し急になりますが、見晴らしのよい鉄塔に出て、さきの尾根道と会います。
すぐ旗尾岳頂上です。
少し平坦になっていますが、杉林に囲まれています。
ここから尾根道の縦走です。
3,4回上り下りを繰り返して、また見晴らしの良い鉄塔にでます。
さきの略図にあった鉄塔です。
また、森林に入って百㍍ほどで才ノ神林道の橋から来る道が左から来ています。
50㍍ばかり登るとピークの上に経塚から直接くる踏跡があるのですが、コースの左側に高さ20㌢15㌢角のコンクリートの境界標識と10㍍ほど下に虎マークがあるのですが、マークはよく外されるので余りあてにはなりません。 初めての方は前述の下のコースを行きましょう。
尾根をそのまま行くと、急に明るくなって右側が広い伐採あとになります。
、府庁山三叉路はすぐです。
ここを左にとって、府庁山、田山からクヌギ峠を経由してグリーンロードを千早口に帰るのは軽い楽しいコースになります。
昔は金剛山系を見渡せる尾根だったのですが、潅木が大きくなって田山の近くでしか見えません。
さらに進んで、また八方見渡せる鉄塔にでますが、ここから降りになって広い林道に会います。
百㍍ばかりで十字峠ですが、整備されて道標がたくさんあります。
このまま、林道をドンドン行くわけですが、最近この辺りの林道の開発が急ピッチです。
地図に記載の点線路は当てにできません。
真っ直ぐ登りになって、百㍍ばかりで右側の山腹道(旧道)は広い林道になりましたから、このままやや左に登りを続けます。 次のY字路は右の登り道をとると、まもなく最高点らしくなって、林道がとぎれて山道になります。
マークのたくさん付いた十字路からは、背の低い潅木帯の登りになります。
左へセノ谷に下る道を見送って右の子尾根を登りつづけます。(始めの暫らくは踏跡無し)
右側が伐採跡で広がれば植林の端をゆっくり右にカーブしながら上の森林帯に入ります。
タンボ山の西のピークでダイトレが待ち構えています。
西へ少しで西ノ行者になります。
このまま西にむかってブンタ谷を島の谷を経由して天見へ(十字峠から、ここへ出るのも良い逃げ道です)またダイトレを紀見峠に行けます。
行者堂に行く小道より右側の踏跡を下って柱本にでます。
すぐ、関電道とかさなって道幅は広がります。
鉄塔をすぎてガリー状の道が増えますが、左に逃げるのは関電道です。 下りが急になって 柱本の部落になります。
右に行くとバス道に出て、百㍍下って右に入ると日光山極楽寺ですが、和尚さんに経塚のことを聞いても”ここは修験と関係ない”とケンモホロロです。 ここは小峰寺の末寺なんですけれど・・・・
ここで終わる予定を小峰寺近くまで行きましょう。
もとに戻って、こんどは左に行きます。
村をぬけて峠のような所をくだり、突き当たりを川を渡って右へしばらくで芋谷の手堀りのトンネルにでます。
機械の無かった時代に手堀りでトンネルを掘った昔の人はえらいです。
ランプの用意はありますか・・・
山歩きには必携ですよ。
天井、側壁ともガタガタで剥がれた礫石が散らばって、足元があぶないです。 百㍍ばかりでしょうか、外に出てほっとしますが、こちら側は下草が一面で静かすぎます。
ふと考えました・・・昔の人は暗闇を歩けたのでしょうか?
薄くらい谷筋を20分たらずで左に林道が入るY字路にこの古い道標があります。
”左きいみとげ道”と読めますが、高野街道の名残りです。
さらに20分たらずで自動車道にでます。
左に進んで右上に橋本初芝高校の立派な校舎が迫ってくれば、下の境原の部落におりて、また坂を登ると小峰寺の小さな山門にでます。
古くて広い境内ですが、山門はつつましいです。
次回はここから出発します。
タンボ山から西の行者に行かず、杉野峠の少し手前から横手西尾根を降るのも面白いでしょう。
横手八幡宮に出て芋谷トンネルも近いです。
初芝高校の横にバス停があって終点が橋本市民病院ですから林間田園都市行きが頻発しています。
このコース全般はハイキングコースとは言えませんから、ある程度の覚悟で歩いてください。
「最寄交通機関」
神塞経由は南海高野線千早口駅、旗尾岳関電道も千早口、又は天見駅うらから・・・
十字峠から降れば天見、ダイトレからなら紀見峠駅
手堀トンネルを抜ければ橋本市民病院~田園都市行きのバス路線に城山台で・・・
(続き)に十字峠から西ノ行者堂への略図を記載します・・・
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昔は山岳修験の荒行として、西ノ行者からの峰伝いで神福寺をめざす行者もあったようですが、登山に縦走の観念が無かったので、紀ノ川山麓の修験の寺を巡るのが多かったようです。行程は長いですが、頑張って歩きましょう。
宝雲山小峰寺(地元の方は”おおみねじ”と呼んでいます)役ノ行者の開基の古い修験のてらです。 前に橋本初芝高校の立派な校舎と後ろは小峰団地に囲まれていますが、鬱蒼としげった緑の小山一体の広い境内に 点々と小祠や石塔をちりばめています文化財の宝印塔が有名です。 昔は修験者によって護摩供養が行われていましたが、いつの間にか絶えてしまって、今は住職が独りで年に一回焚いているとのことです
バス道に出て橋本市民病院を左に回りこんでも、山麓道に出ます。 家並みがとぎれると、丁字路になって明王寺関係の看板が賑やかに立っていますが、往復には, そこそこ時間がかかりまうからまたの機会にします。
法輪山明王寺は後ろに不動山を背負って、635段の急階段があります。
山上には巨石がかさなって、その隙間からの風の音は「日本音風景百選」の一つです
水の音・・・紀ノ川のせせらぎ 風の音・・・明王寺の巨石の風 鐘の音・・・東覚寺の梵鐘
東覚寺は山内の地名を確かめて、舗装路の十字路を左折します。家並みを抜けると山道になって、のびやかな谷間の左の崖に上品な山寺がたたずんでいます。 結界山東覚寺も由緒のある修験の行所で、この上に見える鐘楼の鐘の音は天下一品です。谷間にあるからでしょうか、その余韻がいつまでも残りました。
ここから、大沢寺まではちょっと距離があります。両側が柿畑の中を登りきって、右に自動販売機がたくさん並んでいる左の石壁に標識があります。
舗装された山道ですが、柿畑も人家もなくなって段々畑のつづく明るい谷間のつま先あがりです。 中ほどに左に入ると神福山の頂上にある佐太雄神社の遥拝所があります。 春秋に軽自動車に乗せた神輿が出てお祭りがあります。もう、山の上まで歩かないようです。 40分ほどで大澤寺に着きます。
広い境内で、青竜ノ池には病気平癒祈願の身代わりに放された亀や鯉が群遊しています。
少しもどった山すその道標から山道にはいります。キリサコ尾と呼ぶ広いおねです。 昔は大和から河内に越す良く使われた道でした。 峠の標高が一番低くて楽だったからです。 すぐに道幅が広がって、ゆっくりジグザグします。 傾斜がゆるくなるころに右へマークを注意して山道にはいります。 これが行者道です。
行者道は小尾根を越えてからは、山腹道をトラバースします。 道幅が広がることがありますから、昔はそこそこの道だったのでしょう。 トンネル道と一緒になると、すぐ金剛トンネルの南口に出ます。 トンネルの前を横切って、小道を軽く登ってダイトレです。 しばらく急な階段が出てきますが、神福山への道標に従うと、すぐ朱塗りの小祠の「山ノ神」が入り口にあります。
頂上はそこそこ広い木立に囲まれた笹原に土盛りが第十九番の経塚です。
千早峠の方に降るとダイトレとの合流点に
佐太雄神社が祀られ、その右側の神福寺の退転の由来を記した看板がありますが、経塚も移ったように書かれていますが、移ったのは本尊だけと思いますしばらく、静かな植林の中をたどって、少し降ると左へ五條林道がわかれてすぐ千早峠です。
「最寄交通機関」小峰寺へは南海高野線林間田園都市駅から南海バスの橋本市民病院ゆきで橋本初芝高校下車
五条林道を下ればバスで河内長野又は富田林です・・・.五條林道については、続きでどうぞ・・・
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前回は山麓の修験の寺をまわって、やっと尾根筋に出ましたのに、また下ります。これも修験の一つなんでしょうか! 今回も寺々を巡ってから通う人も少なくなった行者道の小和道から第二十番経塚をめざします。 最後は急登になりますから、体力を温存して頑張りましょう。 千早峠は天気の好い日でも薄暗いところです。植林帯を抜けると明るくなって自動車道に出ます。 ここはサーキット族の多いところですか
ら、気をつけましょ
う .。 陸測図と少しちがいますが、右に百㍍ばかり行って、左の薄暗い崖下の小道を辿ります。 大きなダムの前で舗装路に出ますが、コーナーを左にとって水分神社にでます。 ここの飲み水はおいしいですよ・・・ 少し降って橋を左に辿ってゆくと近畿自然歩道の道標に出会います。 ここからはこの道標にしたがいましょう。 西谷から東谷に入ります。 草谷寺は道から少し外れていますが、こじんまりとした好いお寺です。
このあたりは広々した畑のひろがる丘陵地で花つくりも盛んですし、牛たちもノンビリしています。
峠を一つ越えて久留野峠からの道と出合ってから、新しく出来た山麓自動車道を渡ります。 珍しく半鐘のぶら下がった村の中を道標に導かれて地福寺に着きました。 この石碑からも、この付近は畜産の盛んなことが分かります。 鐘楼の横から東にまっすぐ進みますと
、左側の八幡神社の角を曲がって北にむかいます。 ここは伊勢神宮の末社の御嶽神社の一角になります。 ここから、あらためて金剛山の威容を眺め直してファイトをわかしましょう。 右手に鳳凰寺を見てから、また山麓道を渡って小和の部落に入ります。 これからコースは少しヤヤコシクなりますから、
左の略図をよくご覧ください。 流れに沿って最初の橋があって古い道標が並んでいます。 この道は新しく五条市が整備した登山道です。 二つ目の橋を渡りましょう 舗装路を登りますが、右と左に近畿自然歩道の道標がありますが、最近表示を修正してますが、この問題はあとから詳述します。
小和部落内の近畿自然歩道の道標は無視しましょう。 かえってヤヤコシイです。
右の写真は略図のA点の道標です。
「左 こんごうみち」の石碑に従って左の草付きの小道に入ります。 すぐに右へ登りになって溝をわたる感じでお地蔵さんの前を進みます。
竹林に入って右の奥に豚舎が見えますが、鍵の手 に曲がって丸太の階段を登ると明るい柿畑を通って左の写真で左折します。
この道標の
立っている所が下の茶屋跡です。 自然歩道はまっすぐ行きます。 植林帯を抜けると上の茶屋のあった右図の前に出ます。右に曲がると東佐味の方に行きます。
道が広くなって、整然とした植林の中をつま先登りで進むと左に金剛登山道の標識があります。 まっすぐ行くと200㍍ほどで、高宮廃寺跡です。 登山道をゆっくり登りましょう。 はじめは植林帯ですが、次第に雑木や竹やぶが出てきて第二十番経塚の巨石があらわれます。最近、消防団の手で下刈りがされて、小さな広場になりました。('06 11/5に転法論寺の方が下刈りをされたと剛友会よりコメント) 石積みもあらわれて石寺跡らしくなりました。 さらに進みましょう。 左に曲がり加減で傾斜が出てきます。 本来は溝状の道ですが、歩きにくいので林間に踏跡ができてますが、くれぐれも元の道を意識しましょう。 途中の欽明水は水量が減りましたが、休憩によい場所です。
さあ、頑張ってガリーを登りましょう。石ころとブッシュが増えて歩きにくいので、どうしても右に逃げますが、最後はよく踏まれた伏見道に飛び出します。 いったん、道が細くなりますが、伏見峠に到着です。ダイトレ道をそのまま進めば次の第二十一番経塚です。 少し戻ればロープウエイ前のバス停に出る念仏坂です。
(最寄交通機関)
日帰りの場合は、行き帰りとも
南海バス・金剛バスの「ロープウエイ前」です
奈良県森林保全課との近畿自然歩道の標識については
(続きを読む)で
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金剛山は四季を通じてにぎあいますが、特に毎日登山の形式で回数を誇っている方が多いようです。
この転法輪寺の前の寺務所で集印して、いち早く下山されます。
ここより東に少し進みますと葛木座神社が祀られ、その裏手に葛木岳(1,125㍍)の三角点があります。
さらに一ノ鳥居を過ぎて左に分かれると、湧出岳(1,112㍍)の頂上に出ます。
アンテナ塔や反射板が立ち並んだ前に、如来神力品第二十一経塚があります。
これは経塚の裏から映したシルエットです。
さきほどの一ノ鳥居まで戻って水越峠に向かって ダイトレ道をドンドン降ります。・
このあたり一体は整然とした植林帯です。
階段の降りがイヤになりだしたころ、道路標識に注意してください。
「水越峠へ3キロ」の道標から50㍍ほど過ぎてから右斜め下の林道に入ります。
これが関屋道です。(赤い柱)
はじめ歩きやすかったのが、傾斜をましてガリー状になって潅木が増えてきます。
右に谷が出てくると潅木帯になります。
しばらく茂みをかきわけると、また植林帯になって右手に最近、復活した町石が見られます。
傾斜がゆるくなると朝原寺跡です。
このあたりは間伐がすすんで、このように切り倒された材木が枝葉のままで、寺の基壇の石垣の存在も分かりにくくなって、往年の荘厳さはありません。
明治の初めまで、相当な規模で存在しておったようです。
左の略図でご案内します。
平坦な植林の中を百㍍ばかり進むとクロワール状の道が右へ降っています。
ここを直角に左折して50㍍ほどで右にクロワールがあらわれます。
すぐに小さな標識(A)があります。
この道を抜けて平坦な所にでますが、以前は一番左にあるクロワールを降ったのですが、今は倒木がうずまって通れません。
目の前の立ち木に赤い経塚の標識(B)がくくり付けてありますから、そこから真っ直ぐ降ります。
だんだん踏跡がしっかりしてきて、所どころにリボンが付けられています。
行き当たって立ち木に付けられた標識(C)が現れます。
ここは丁字路になりますから、左に取ります。
また町石の前を過ぎて、小尾根の道を降って小枝に黄黒のマーク(D)で黒い水道管を引いた小道に出ます。 (逆コースではDは見つけにくい)
左から(A)・・
(B)・・
(C)・・
(D)・・
'07春 消防団の地点
標が設置されました
ここまでくれば、もう安心です。
すぐに 右側が深いクロワールになりますが、自然に大田和地蔵の第二十二経塚の前に出ます。
そのまま、小尾根の上を伝う感じで、クロワールが消えてしまうと左手の林道に入ります。
少し下の休業中のラーメン店の横の近道を降れば、水分神社です。
この北の入り口から経塚までのコースは一般の方で小1時間で往復できる楽な道のりですが、その上は経験者のリードが必要でしょう。
「最寄交通機関」
湧出岳へは各方面から・・・・・
関屋へは近鉄富田林から金剛バスで水越峠から徒歩40分
又は御所から奈良交通バスで宮戸橋、寺田橋から1時間弱
次のコースを通して歩くのがベター・・・
(続き)で町石の解説です。
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これから気楽に”葛城の道”の漫歩です。
関屋の村をぬけ水越峠越えの旧道を東へ進みます。
名柄の古代葛城氏居館跡をぐるりと回って、古い鳥居から美しい木立の間を一言主神社に進みます。 一言主の命は役ノ行者とともに修験道の主要人物であり、この界隈のあちこちの社に祀られていますが、ここがその総本家と言えるでしょう。
社殿の前の銀杏の大木(クリックしてお楽しみください)は有名です。
お社の前を北にゆっくり登ります。
ここからが葛城の道の本番です。
古い農家の前をすぎ、田んぼや畑の間のあぜ道をノンビリ進みます。
大和三山はまだ遥かに遠いですが、葛城古道の真髄をあじわってください。
道標は完備されています。
やがて九品寺です。
ここから道は田んぼの中をクネクネと続きますが、道標に従ってください。
車道に出る必要はありません。
この六地蔵から葛城の道は東に進むのですが、このままもう少し民家の裏を北に行きましょう。
バス道の傍らに石塔がいくつも並んでいます。
猿目の地蔵寺跡です。
第二十三経塚は一番左の隅にさびしそうにヒッソリと立っています。
ここから近鉄御所までバスがあります。
歩いても降り坂で40分ほどです。
左の地蔵さんはバス道を東に下った櫛羅の交差点を少し行った所にあります。
この櫛羅地蔵は六地蔵とともに経塚候補に挙げられています。
続いて南半分を紹介します。
一言主神社に向かわず旧街道を南下します。
小学校の体育館の横に古代日本の豪族の葛城氏の遺跡があります。
長柄神社や中村邸のある古い街道を進みます。
ゆるやかな坂道を高木神社、住吉神社と登りつめて山麓道をわたると極楽寺です。
橋本院へ楽しい山越えになります。
リンクの中をご覧ください。
金剛山の東に白雲岳の山塊がひっついています。
その端の台地が高天原(あまのかわら)です。
昔から天孫降臨の地と言われています。
高天彦神社から東に降って森をぬけると目の前が開けてスバラシイ展望です。
東南に下りきって高鴨神社か新しくかもきみの湯に出るとバス停も近くです。
このコースを全部歩くなら、近鉄御所から奈良交通バスで風の森下車の逆コースで御所にもどるのをお奨めします。
これから第二十三経塚から、また北に向かいます。
(続きを読む)をどうぞ
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櫛羅から新庄を抜けて伏越までは、
高速道路が完成したためにガラリと様子が変わりました。
しかし名跡、旧跡をつらねて近畿自然歩道が通っていますから、前章の(続きを読む)で紹介しました。
とりあえず伏越の分岐まで来て、岩橋峠(伏越峠)をめざします。
静寂そのものの峠道です。
水越峠から大和葛城山を越えて、岩橋山、平石峠、竹内峠から二上山をへて屯鶴峰で終わる尾根伝いのダイトレ道は一度味わっていただきたい縦走路ですが、この修験道のコースはほとんど通っていませんが、実際に歩く場合は適宜、組合してください。
峠から岩橋山の少し手前から名石コースを降ることにしましたが、このコースの紹介はあとにゆずって、とりあえず平石部落まできました。
ここから出発するときは、バス停から少し登った右側のポールから岩橋峠へ行きます。
もう少し進んで頭の欠けた石の道標を左折です。
高貴寺は古い由緒がありますが、写真の被写体のメチャクチャ多い中身の充実したお寺です。
本堂の左の渡り廊下の下をくぐって裏手に出ますと崖の下に小堂と石祠が並びます。
一番左の小さいのが普門品第二十五経塚です。
三叉路にもどって平石峠にゆっくり登りましょう。
このあたりは檜の植林が多いですが、結構落葉
樹がまじって静寂な聖域を演出しています。
いくつか分かれる谷は清らかな小滝
のかかる複雑な渓流です。
峠の手前の石積みに役ノ行者と不動明王がおわします。
妙音菩薩品第二十四経塚です。
峠を東に越えて降りだすとすぐ車の通れる道になって、史跡の丘の横を北に向かって伝説に満ちた
当麻寺の壮大な伽藍があらわれます。
詳しい解説はクリックの上HPで・・・・・・
後になって申し訳ありませんが、伏越峠に東から向かうのは近鉄当麻寺駅又は忍海(いわき)駅から山麓線を南下して兵家から右へ、高速道路をわたります。
「最寄り交通機関」
平石へは近鉄富田林駅より金剛バス(時刻表)で終点平石下車
名石コースは続きで紹介します。
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当麻寺から二上山に登ります。
傘堂から鳥谷口古墳をへて祐泉寺で登路は二つに分かれますが、右は寺の前を通って馬の背に、左は岩屋峠に出ます。
二上山の雄岳の頂上は広くて真ん中に葛木坐二上神社 が祀られています。
その右側の奥に陀羅尼品第二十六経塚が隠れるように鎮まっています。
頂上から東に少し降ると悲劇の王子大津皇子の陵墓があります。
馬の背にもどりましょう。
もう少し降るとダイヤモンドトレールの看板や標識のある所から階段道をドンドン降ります。
よく整備されていますが、殆どが丸太を組んだ階段道ですから、決して楽ではありません。
途中の関電鉄塔でふり返ると二上山の撮影ポイントがあります。
最後はコルを二つほど越してやっと終点に着きました。
自動車道を東に行くと線路の向こうに 穴虫峠のお地蔵さんの石祠と六面金剛像があります。
もう少しで屯鶴峰です。
入り口の右側にダイトレの起点があります。
遠景の山並みは明神山になります。
屯鶴峰を通り抜けるのに明瞭な道はありません。
階段を上がって、真っ白の砂岩の所から左にとって砂岩の障壁を乗り越えてブッシュの中の踏跡をたどり、戦争中に軍隊の掘った防空壕に出るルートと右にとって写真の向こうの鉄塔の山を越すコースがありますが、通り抜ける人はあまりありません。
右のコースをならば165号に出てから田尻峠から団地をぬけて関屋駅です。
左ならすぐに踏み切りで近鉄を渡ります。
('09/1月現在、西尾根以外は採石作業のため通過困難です。 165号線に沿ってフェンスで封鎖されました)
「最寄交通機関」
屯鶴峰は近鉄南大阪線の上ノ太子駅と二上山駅の中間で40分ほどです。
大阪線の関屋駅が少し近いです。
第二十七番 逢坂の経塚
予定のコースから外れて第二十七番経塚に飛びました。
昔の行者さん達はどこを通ったのか続きを参考にしてください。
友が島を出発してからなんとか無事に二上山を越えましたが、ここで本当に困りました。
この経塚は香芝市逢坂5丁目の三岡氏邸のお庭にあります。
冒頭でお断りしたとおり、中野 栄治先生の「葛城の峰と修験の道」を参考に私なりにルートを考えました。
また、この厳王品二十七経塚については、香芝市二上山博物館の学芸員の方より資料をいただきました。
ルートについてはお二人とも二上山より穴虫峠、屯鶴峰をへて田尻から明神山とお考えなので、この逢坂5丁目とは随分はなれます。
また、学芸員の方は他所から解体して運ばれてきたものとの見解です。
ここに示しました元興寺文化財研究所の調査で時代検証等の詳しい資料をいただきましたが、学術的な問題には立ち入りたくないので、六層塔の四層部が無くなって五層塔になっている事実だけをお示しします。
また、香芝市の市指定文化財になっておりますが、個人の財産なので一般には公開されていません。
これまでは、三岡家と事前に電話で日時の調整のうえ参拝しておりましたが、現在(平成18年)に旧宅を取り壊して新築されましたため、今後のことは分かりません。
二上山博物館(0745-77-1700)に問い合わされては・・・・
「最寄交通機関」
近鉄大阪線二上駅下車東北へ10分
あとは個人的な見解として(続きで読む)で意見を申します。
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広葉樹林の中を気持ちよく尾根を伝います。
十三重の祖先崇拝塔をすぎ堅上に降る道を見送ってからいったん峠に降り、登りなおして明神山に着きます。
明神社を祀り、広く公園化した明るい頂上です。
展望台から四方の眺めを満喫できます。
この付近にさあ、終わりが近くなりました。
前章の(続き)でコースを外しましたので、とりあえず近鉄大阪線の関屋駅から出発します。
北に向かって高速道のしたを潜り、左手の団地の端をあるきます。
家並みを外れて峠のようになり、山道にかかると赤い旗がはためいて関屋地蔵があらわれます。
南に二上山系を望んで、北は大和川に落ち込んでいますがJR大和路線の電車がよく響きます。
昔から大和から河内に通う人々の歩きなれた道です。
第二十八経塚があったと伝える古文書があります。
王寺の方に降りますと、道はたに「右大坂さかい」と刻まれた石標があります。
ここから大和川に降って船便をつかったようです。
送迎峠(ひるめ越え)と呼ばれ、その昔に四天王寺へ往復された聖徳太子を送り迎えした故事があります。
思い切って下りましょうか・・・・・
ほどなく踏跡は途切れて土手に阻まれますが、上ると砕石場からの広い道路になります。
採石場を抜けて奈良街道に出ます。 (採石場は閉鎖されてゲートが閉まっています) 亀ノ瀬橋を対岸にわたって、護岸工事の道を河原に下りますが、これは橋の上からの撮影です。
中央の巨岩が勧発品第二十八経塚の亀石です。
ここに来るまで、28箇所の経塚の内に一度で見つけられぬ所もありました。
苦しいことも楽しいことも織り交ぜた道のりでした。
しかし、私にはこの長い遍歴がすばらしい思い出となりました。
「最寄交通機関」
近鉄大阪線(上六)二上駅
JR関西本線河内堅上駅
最後に
ダイヤモンドトレール全縦走を付け加えます。
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